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リアル・リアリティからPBLを考える

ゼミレンジャー2016

先日はゼミレンジャーでした。ゼミレンジャーはプロジェクトやワークショップを行うゼミが集まり「経験の棚卸し」を行うラーニング・イベントで、今年で3年目になりました。2016年は実践女子大学・松下ゼミ、法政大学・長岡ゼミ、同志社女子大学・上田ゼミ、慶應義塾大学・牛島ゼミ、東京都市大学・岡部ゼミ、立教大学・舘野先生とBLPの学生たちという6大学ゼミが集まりました。

当日、どのようなことをしたのかについては

◯ 立教大学・大井くんによる当日のまとめ(http://shumpeioe.hatenablog.jp/entry/2016/12/18/163607

◯ 当日のTwitterまとめ(http://togetter.com/li/1060584

でまとめられていますので、よければ見て下さい。

今年のサブテーマは「リアルとリアリティを考える」としました。これは松下自身がメディア×学習を研究している中で、その両者の知見を掛け算すると今一番面白いかなと思っている部分です。

リアルとリアリティの間

すごく乱暴になりますが、リアル=事実、リアリティ=事実っぽさ、とするとリアルがリアリティをつくる、その境目が曖昧になる、リアリティこそがリアルというのはメディア文化ではさまざまなところで見いだせます。

・設定考証という仕事:「嘘と真でつくる”リアリティ”」(http://kai-you.net/article/33481

・wikipedia風?ゴールデンボンバーオフィシャルサイト(http://pc.goldenbomber.jp

学習に引きつけて言うと、例えばPBLで企業からの課題に応えて提案をつくるというのは、いくら企業の人を呼んできても、そのままビジネスで展開されているものではないですよね。そもそも企業ではなく大学でやっているし。そういった意味でリアルではない。では、だからといってそこをさらにリアルな設定にしていくという意味があるのか?別のアプローチもあるのではないか?と思います。

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ネガティブなリアリティ?ポジティブなリアリティ?

ちょっと違う角度から言うと、PBLなどアクティブ・ラーニングやワークショップ、リフレクションなどが各所に広がっています。自分の授業やゼミでもPBLやワークショップは多く企画・実践するのですが、ふと「やっている風なだけなのかも…」と思うことがあります。PBLっぽい、企業活動っぽい、グループワークっぽい、アクティブラーニングっぽい、ワークショップっぽい、リフレクションっぽい…などなど。

上記のように「やっているように見える」「っぽいだけ」というのは、やりたくてやっているわけではない、言われているからやっている、どこかその場しのぎで、リアルではない。そういった意味で、ネガティブなリアリティと言えるのかなと思います。

一方で、「っぽさ」を追求しながらリアルの本質は何だろう、と考え、今はそうではないけど、そうなるように向かっていく、ある種、あこがれや理想に向かって進んでいくプロセスとも言えるポジティブなリアリティもあるのかなと思います。

ストレートに考えるのもいいけど「あるある」「っぽさ」を考えることは(もしかしたらストレートに考える以上に?)その本質に迫るひとつの有効なアプローチになるのでは?と思ったりします。例えば、

他にも

・ロバート秋山・クリエイターズファイル(https://creatorsfile.com

・虚構新聞(http://kyoko-np.net

これらはどれも(想像ですが)めちゃめちゃ本家・リアルを見て(研究風に言うと多くの具体的なデータを集めて)そこからリアル(本物)を構成する要素・構造を見出して、それを表現する・プロトタイプをつくる→改善していく、というようにできたんじゃないかなと思います。そういう意味ですごく「研究」なんだと思います。

こうした「ポジティブ・リアリティ」をどのようにPBLに練り込むか、は今後のPBLを考えるべき要素の一つになってくるんじゃないかなと思っています。

まだまだ考えだしたばかりのことなのですが、今回のゼミレンジャーではこうしたリアル・リアリティを巡ってさまざまなワークを仕掛け、みんなで考えることが出来ました。今後もこういった側面からPBL含めた学習を考えるワークショップや活動を出来たらと思います。